剣道はパワーも必要だと思いますが、どちらかと言えばスピードと技のスポーツです。
勝負は気合いとスピードと技のタイミングで決まるさえ言えます。
そして、スピードと言えば当然若さが有利になります。
なので、剣道の最高峰である全日本選手権大会でも20代~30代の優勝者が圧倒的に多いです。
そんな中、45才と言う年齢で剣道全日本選手権大会を制した剣士が山崎正平8段です。
この最年長優勝記録は、50年ちかく経った今でも破られていません。
山崎正平8段とはどんな剣士だったのでしょう?
ちょっと気になったので調べてみました!
目次
全日本最年長優勝!山崎正平とはどんな人?
山崎正平
プロフィール
生年月日 1923年生まれ
出身地 新潟県五泉市
身長 162cm
体重 72kg
職業 新潟県五泉市役所勤務
2006年8月3日没 享年83才
保有段
剣道8段
柔道2段
柔剣道初段
短剣術2段
山崎正平8段の育った新潟県五泉市は、昔から剣道が盛んな場所でした。
当然そこにはたくさんの剣道道場があり、子供の頃からよく覗いて胸を弾ませていたそうです。
そして、7才の時にたくさんある道場の中から、「尚武会」と言う道場へ友達と一緒に習うようになったのが剣道人生の始まりでした。
その後、青年学校(今の高校)を卒業と同時に、剣道助手などに就きますが、昭和19年より兵隊となり、重機関銃を担いで中国南部を転戦する事になります。
今からすると全く想像すらできませんが、山崎正平8段の生きた時代は戦争で自由に剣道が出来ない時代だったんですね。
こういった背景もあって、十分な練習が出来ずに活躍する時期が伸びたのかも知れません。
山崎正平の強さの秘密と45才で優勝出来た理由とは?
山崎正平8段は最年長優勝をするまでに、5回全日本選手権大会に出場していて6回目でようやく、念願の優勝を45才で勝ち取る事が出来ました。
それまでにも、国体や都道府県対抗にも数多く出場している経験豊富なベテラン剣士です。
そんな山崎正平8段が強くなるキッカケとなったのが、35才の時に構えを正眼から「上段」に変えた事でした。
また、色んな大会で準決勝までは行くものの、それ以上はなかなか勝てなかった山崎正平8段が、その理由を162cmと言う体格のせいだと思い、師匠に相談すると上段を勧められました。
そこから上段の研究に励み、時には「上段の最高峰」と言われる中倉清9段に大会で会う度に教えを請うて精進しました。
その結果、メキメキ実力がついていき、1964年の中部日本7段昇進大会で3位に入るまでになりました。
小柄な山崎正平8段が上段に変えた理由としては、上段に構えた方が相手に体を大きく見せられる事と、スピードある若い剣士の打ち込みに対抗するには正眼の構えでは遅すぎると判断したからだそうです。
そして、35才で今までの構えを捨てて、そこから一から精進してさらにそれまでの自分を超えるなんて、やはりすごいの一言に尽きます。
また、山崎正平8段が全日本選手権大会に45才で優勝できた理由は、今までの経験プラス若い剣士のスピードに対抗できる「上段」と言う構えを極めたからだと思います。
そして、山崎正平8段が上段構えで取り組んだ事は「一刀必殺」と「相手に間合いをはからせない」の二点だけだったそうです。
現に、45才で優勝した第16回剣道全日本選手権大会では、相手に間合いをはからせずジリジリと自分の間合いに詰めて、必殺の上段からの面で仕留める技が冴え渡っていたと言います。
その時の貴重な映像がこちらです!
映像を見てみると、本当に間合いをジリジリと詰めてスパーンと面を打っています!
剣道はパワーもスピードも必要だと思いますが、一番はやはり間合いの取り方と技が重要なのかも知れません。
それにしても、過去50年近く45才以上で優勝した方はいないので、山崎正平8段のような方はやはり特別な例外なのでしょう。
しかも、45才どころか40才以上の優勝者も山崎正平8段以後は一人もいません。
1994年に西川清紀7段の39才での優勝が最高です。
やはり、今は若い世代のレベルが相当すごいと言う事なのでしょうか?
山崎正平8段のように、若いスピードある剣士をバンバン打ち負かすようなベテランをそろそろ見たい気はしますね。
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終わりに
スポーツはやはり体力のある若い世代が有利だと思います。
しかし、剣道や柔術といったものは体力だけではない要素も多く含まれてるので、ある程度の年齢でも十分戦えると思います。
でも、実際の大会を見てみるとやはり若い世代が圧倒的に優勝してるので、今は昔ほど技は通用しなくなってるのかも知れませんね。